岩井三四二 新人物往来社 2007/03

嘉吉の乱によって敗亡してより十五年―。南朝の帝を討ち、神璽を奪還することで主家再興を図ろうと、赤松遺臣たちは吉野へ潜入する…。渾身の筆で描く本格歴史長篇小説


面白かった。この作家さんだと『たいがいにせえ』だとか『難儀でござる』とか、ちょっと滑稽でちょっと悲哀を感じさせる物語が頭に浮かぶけど、この物語はそれらの作品とは少し趣が違う。
悪御所と呼ばれる将軍を討ったのはそれなりに理由があったから。なのに将軍家も、その周りに侍るものどもの家は続いていくのに、将軍を討った当方だけが潰されるのは納得いかない!理不尽だ!と、家臣たちが残党狩りにも生活苦にも負けず、自らを“悪党”であると自覚しながら奮闘する姿は辛いけれど、熱い。
しかし主家を再興させたいならば吉野の南朝に奪われた神璽を取り返せとか、なんという無茶振り、なんというミッションインポッシブル。というか、このミッションの前振りからして、大名による将軍暗殺、後南朝による御所襲撃、三種の神器である剣と神璽の持ち去りとか、大概無茶苦茶な状況ですね。そら将軍の権威も失墜して、応仁の乱も起こるわけだ。その応仁の乱で京は荒廃、守護大名は疲弊、地方にいた守護代などが台頭して、戦国時代が到来するわけで、歴史というのはほんとドミノ倒しみたいなものだとつくづく思う。
ちなみに事件の発端となる嘉吉の乱は1441年、赤松家再興は1457年、応仁の乱は1467年。尼子経久や北条早雲などはこの物語の終盤前後でもう生まれているので、ある意味戦国時代の先駆けの物語、と言ってもいいのかも。この時代はぐっちゃぐちゃに勢力が入り乱れて面白いのに、あまりドラマなどの映像化はされないですね。大河でも戦国・幕末は手を変え品を変えやっているのに、室町は『太平記』『花の乱』ぐらい?やっぱり南朝の扱いが難しいのか?

そういや、この物語に出てくる赤松家家臣小寺氏の裔は、後に赤松家を主と仰ぎつつも播磨で半独立勢力となったらしく、その家臣にはあの黒田官兵衛が居ます。官兵衛の母も小寺氏の養女で、官兵衛自身もまた小寺氏縁戚の娘を妻に迎えて、一時は小寺氏を名乗っていたとか。巡り合わせって、面白いなあ。『播磨灘物語』、読んだはずなのにすっかり忘れてた…ちゃんと読み返そう。

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